DVD登場までの経緯

大容量光ディスクの開発と規格争い

DVD登場以前の1990年代初頭、CDより高密度の光ディスク媒体の規格として、当初は青色SHGレーザーによる光ディスクを開発していたが、ハリウッド映画業界の早期に商品化してほしいという要望により、1994年末には東芝・タイム・ワーナー・松下電器産業(現:パナソニック)・日立・パイオニア・トムソン・日本ビクターの連合による赤色レーザーを使ったSuper Density Disc(SD)の開発がされていた。一方で、フィリップス・ソニー陣営によるMultiMedia Compact Disc(MMCD)も同時期に開発されており、1980年代のVHS対ベータ戦争の再来が危惧されていた。

そこで、IBMのルー・ガースナー(Lou Gerstner)が仲介に入り、フィリップスとソニーはMMCD規格の採用を諦めることと引き替えに、SD規格のサーボトラッキング機構に関する2項目の修正を認めることで、フィリップスとソニーも東芝主導のSD規格につき、両陣営は合意に至った。

1つ目の項目は、フィリップス・ソニーの特許技術である「プッシュプル式トラッキング」技術を可能とするためのピットジオメトリーの採用だった。2つ目は、Kees Imminkの設計によるフィリップスの「EFMPlus」採用だった。これは、東芝のSDコードよりも効率が6%低かったため、SD規格自体の容量は5Gバイトだったが、結果的に4.7ギガバイトの容量となった。EFMPlusは、ディスク面に対するひっかき傷や指紋等に対する耐障害性に大きく優れていた。結果としてDVD specification Version 1.0が1995年に発表され、1996年9月に完成した。名称はDVDになったが、SDのロゴはSDメモリーカードのロゴに継承されている。

この統合により、規格の乱立は避けられると一旦は思われたが、その後各家電メーカーや映画会社から多数の注文をつけられ(ランダムアクセス、2時間収録、ドルビーデジタル収録など)、後述の「DVD-」や「DVD+」「DVD-RW」「DVD-RAM」など、多数の派生規格が生まれた。

DVD-Videoメディア・プレイヤーの商用化

DVD-Videoメディア及びプレイヤーの初の商用化は日本では1996年11月、米国では1997年3月、欧州では1998年、豪州では1999年になされた。世界第1号として、谷村新司のライブDVD「シンジラムニタ」が発売された。このDVDには、5.1chサラウンドやマルチアングル、隠しチャンネルなどの機能が盛り込まれていた。

ちなみに、初の2.1chサラウンド音響は『ツイスター』、5.1chサラウンドは『インデペンデンス・デイ』が初である。